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成田市見所 |
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成田市は、成田山新勝寺、宗吾霊堂、龍正院、大慈恩寺にみられる信仰のまちとして栄えてきました。
千葉県の北部中央に位置し、利根川をへだてた北側は茨城県、西は県立自然公園に指定される印旛沼、東は香取市と接してます。
昭和53年5月に開港した成田国際空港は、航空機の発着1日約500回、空港旅客数年間3,500万人を越えており、地域と空港の共栄をはかるため、その役割の充実化がさらに求められています。
また、平成18年3月香取郡下総町、同郡大栄町の2町と合併し人口約12万人の新生・成田市が誕生しました。
かつての田園観光都市成田は、信仰の町としての姿から、交通、経済、文化などさまざまな分野で交流を促進する国際交流都市にふさわしい町へと大きく変貌しています。
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成田山新勝寺
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〜 御縁起 〜
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真言宗智山派、大本山成田山金剛王院新勝寺の御本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅命により弘法大師がみずから敬刻して開眼し護摩法を修せられた尊像です。
ながく京都の高雄山神護寺に奉安されておりましたが、天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に下り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めました。
その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山されました。
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境内には重要文化財が多数あります。
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●電車 |
JR線 成田駅または、京成線、京成成田駅から徒歩10分 |
●自動車 |
東関東自動車道・成田ICから4km |
●駐車場 |
市営・・・国道51号線沿い、成田山まで10分 |
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民間・・・成田山周辺に約20箇所 |
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大本山 成田山新勝寺
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〒286-0023 千葉県成田市成田1番地 ? 0476-22-2111
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●光明堂《重要文化財》・・・・・元禄14年(1701)建立
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旧本堂。中央に大日如来、左右に不動明王、愛染明王が奉安されております。
総高約15m。江戸時代中期における色彩の貴重な建物です。
星まつり御礼受所。
後方には奥之院の洞窟があり、毎年祇園会に開扉されます。
又、前庭にて毎年5月成田山薪能が演能されます。
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●釈迦堂《重要文化財》・・・・・安政5年(1858)建立
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前本堂。中央に釈迦如来、左右に普賢文殊、弥勒、千手観音の四菩薩を奉安。
堂の周辺には五百羅漢や二十四孝の彫刻がはめこまれ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅作りのお堂です。
開運厄除けお祓い祈祷所。
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●仁王門《重要文化財》・・・・・天保2年(1831)再建
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左右に密迹金剛、那羅延金剛、裏仏には、広目天、多聞天が奉安され、境内入口にあって伽藍守護の役目をしております。門に隣接して仁王池があり、放生池としていきるものの生命をいとおしむ「不殺生」を教えてます。
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●額堂《重要文化財》・・・・・文久元年(1861)建立
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ご信徒から奉納された額や絵馬を掲げる建物で、近世における庶民信仰を表す代表建築の一つです。
堂内には、「成田屋・七代目市川団十郎像」や「青銅製大地球儀」(明治40年)等があります。
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●三重塔《重要文化財》・・・・正徳2年(1712)建立
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総高約25メートル。塔内には五智如来が奉安され、周囲には島村円徹の「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。なお雲水紋の彫刻をほどこした各層の垂木は一枚板でつくられ、一枚垂木と呼ばれ非常に珍しいものです
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宗吾霊堂
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当山は宗吾霊堂と呼ばれ広く知られています。
正しくは、鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂といいます。
境内は木々のみどりにつつまれ、春の緑につつまれ、春の花見に秋の紅葉にと年中人出が絶えません。
約十万平方メートルの広さに、年間参詣者は約250万人の人々が訪れる霊場です。
当山の縁起は、桓武天皇の時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、戦歿者供養のため建立された真言宗富山派の寺院です。
わが国の代表的義民として有名な佐倉宗吾(本名木内惣五郎)様は、今から350数年前に佐倉藩主家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱行へ直訴し、その罪により公津ヶ原刑場で磔刑に処せられました。
この時、当山の住僧澄祐和尚は遺骸を刑場跡に埋葬されました。
現在のお墓がそれで、惣五郎様の処刑後、佐倉藩はその失政を悔い、宝暦2年(1752年)、百年忌の時に堀田正亮公は宗吾道関居士の法号を諡号しました。
以来、惣五郎様は宗吾様と呼ばれるようになり、寛政3年(1791)、堀田正順公は徳満院の院号と石塔一基を寄進しました。
文化3年(1804)には堀田正時公が惣五郎様の子孫に田高五石を供養田として与えました。
長い間、宗吾様をまつる堂字の建立は許されませんでしたが、現在は本堂、薬師堂、客殿、大本坊、霊宝殿、仁王門、鐘楼堂、奥之院、宗吾様のご生涯を66体の等身大の人形により再現した日本有数の大パノラマ式の宗吾御一代記念等の建造物があり、信仰に参詣に多くの人々の人気を博してます。
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真言宗豊山派
別格大本山鳴鐘山東勝寺
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宗吾霊堂
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自動車は関東東自動車佐倉・富里インターより20分
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京成線宗吾霊堂駅・・・・・・・・・徒歩10分
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県立房総のむら
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印旛沼の北東、栄町から成田市にかけての台地に広がる龍角寺古墳群。
6世紀から7世紀にかけて作られた円墳や四方形の方墳、前方後円墳など、114基もの古墳が確認されています。
印旛沼に面したこのあたりには、当時、多くの人が住んでしまいました。
これらの古墳は、この地域を治めていた有力な豪族が造ったものと考えられています。
中でも、7世紀中ごろに造られた「岩屋古墳」は、1辺が80メートル、高さが13メートルにもおよび、この時期の古墳としては、天皇倰古墳にも匹敵するほどの大きさ。
古墳は、時の権力者が、力を示す象徴として造ったものであり、この地域にも大きな力を持った人物がいたと推測できます。
龍角寺古墳群は、大和政権とのつながりや、この地域の歴史をひも解く重要な資料ともいえるのです。
現在、約45平方メートルが国指定史跡となり、古代の息吹を今にのこしていましす。
「県立の憂そうのむら」では、大小さまざまな古墳を間近で見ることができます。
また、「資料館」には、出土した埴輪をはじめ、刀や馬具、装飾品などが展示されています。
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JR成田線安食駅 「龍角寺台車庫」行きバスで「房総のむら」下車。
無料駐車場あり
古墳群のほとんどは無料見学。
資料館は有料
開館時間 9時〜16時30分
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日)
入場料 一般300円 高校・大学生150円
中学生以下、65歳以上 無料
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